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2008/05/20 日記<富士重工業>
富士重工業
略称 = 富士重工、富士重
国籍 =
郵便番号 =160-8316
本社所在地 = 東京都新宿区西新宿1丁目7番2号
電話番号 =03-3347-2111
設立 = 1953年7月17日
業種 = 輸送用機器
統一金融機関コード =
SWIFTコード =
事業内容 = 自動車・航空機の製造・整備
産業用機器の製造・整備
代表者 = 代表取締役社長 森郁夫
資本金 = 1,537億95百万円
売上高 = 単体1兆188億円
連結1兆5,723億円
(2008年3月期)
総資産 = 単体8,899億円
連結1兆2,963億円
(2008年3月31日現在)
従業員数 = 単体11,949名 連結26,478人
(2007年9月30日現在)
決算期 = 3月31日
主要株主 = トヨタ自動車 8.69%
主要子会社 =スバル オブ アメリカ
イチタン
関係する人物 =
外部リンク =
www.fhi.co.jp
特記事項 =
}}
富士重工業株式会社(ふじじゅうこうぎょう、FHI)は、日本の重工業メーカーのひとつ。「スバル(SUBARU)」のブランド名で自動車などを製造している。通称「富士重工」、「富士重(ふじじゅう)」とも。英訳名は、''Fuji Heavy Industries Ltd.''(英略称は''FHI'')。
歴史
1917年5月、日本海軍|海軍機関大尉中島知久平によって尾島町|群馬県新田郡尾島町(現:群馬県太田市)に設立された民営の飛行機研究所を前身とし、太平洋戦争終戦後、連合国軍最高司令官総司令部|GHQにより財閥解体の対象となった「中島飛行機」(1945年に富士産業と改称)が、富士重工業のルーツである。軍需から平和産業への転換、スクーターやバスなどの輸送用機器開発、企業分割などを経て、旧中島系の主要企業の共同により1953年に富士重工業を設立、1955年に参画各社が富士重工業に合併されることで企業としての再合同を果たした。1958年発売の軽自動車|軽乗用車「スバル・360」と、その派生型である1961年発売の軽商用車「スバル・サンバー」が技術的・商業的に大きな成功を収めたことで、以後「スバル」ブランドの自動車メーカーとしての地位を確立し、その他の分野にも多角的に進出しながら現在に至っている。
富士重工業の誕生まで
中島飛行機
「中島飛行機」は、民間機の開発も行ったが、主として太平洋戦争までの陸海軍用機の需要に応え、軍用機およびそのエンジン開発に取り組んだメーカーである。特に1937年に勃発した日中戦争以降、終戦までに陸軍九七式戦闘機、一式戦闘機|一式戦闘機「隼」、二式単座戦闘機|二式戦闘機「鍾馗(しょうき)」、四式戦闘機|四式戦闘機「疾風(はやて)」
[終戦後、アメリカ合衆国|アメリカに接収されて、140オクタン価|オクタンの高品質な燃料を使用しての綿密なテストの結果、アメリカをして「第二次大戦の日本戦闘機のベストワン」と絶賛させた。]、彩雲 (偵察機)|海軍艦上偵察機「彩雲」
[高速偵察機として知られ、偵察後、追撃してきたF6F (戦闘機)|グラマン・F6F・ヘルキャットを振り切り帰還、「我に追いつくグラマン無し」と打電したという逸話を持つ。]など多数の著名な軍用機を送り出した。エンジンメーカーとしては、「隼」や零式艦上戦闘機|零式艦上戦闘機(零戦)に搭載された1000馬力級の「榮」エンジン、大戦後期の「疾風」や紫電改|局地戦闘機「紫電改」に搭載された「誉」エンジンなどの航空機用発動機を開発。三菱重工業、川崎重工業|川崎航空機と並び、航空機製造会社として日本最大規模の存在であった。
企業解体と平和産業への転進
日本の敗戦とともに、GHQより航空機の研究・製造の一切が禁止され、中島飛行機は新たに「富士産業
[「富士」は「富士山」に由来する。中島飛行機の創立者である中島知久平は、日本を代表する名山である富士山をこよなく愛した。]」と改称された。戦時中、最先端の航空機開発に取り組んだ優秀な技術者たちの生活は、各工場毎に、自転車、リヤカー、自動車修理、果ては鍋や釜、衣類箱、乳母車などを作って糊口を凌ぐ日々へと一変した。このような状況の中、太田と三鷹工場の技術者たちは、当時進駐軍の兵士たちが移動に利用していたアメリカ製の簡易なスクーター「パウエル自動車|パウエル」に着目する。軽便な移動手段としての販路を見込めると考えられたことからスクーターの国産化が計画され、早速、敗戦後も残っていた銀河 (爆撃機)|陸上爆撃機「銀河」の尾輪をタイヤに利用して試作、1947年に「ラビットスクーター」として発売した。「ラビット」は運転が簡易で扱いやすかったことから、戦後日本の混乱期において市場の人気を博し、メーカーの屋台骨を支える重要な商品となった。「ラビット」シリーズのスクーターは、モデルチェンジを繰り返しつつ富士重工業成立後の1968年まで生産された。また板金・木工技術を活用し、1946年からバス (車両)|バスボディ架装にも進出、特に従前の「ボンネットバス」より床面積を大きく取れるキャブオーバー型ボディの架装で、輸送力不足に悩むバス会社から人気を得た。さらに1949年にはアメリカ製リアエンジンバスに倣い、得意の航空機製造技術を生かした、日本初のモノコックボディ・リアエンジンバス「ふじ号」が完成。フロントエンジン型キャブオーバーバスより更にスペース効率に優れることから成功を収め、以降、日本のバスボディ・シャーシの主流は続々とリアエンジンへ移行していく。このようにして平和産業へ転進した富士産業であったが、1950年8月、当時の政策によって財閥解体の対象となり、工場毎に15社以上に分割されてしまった。
富士重工業成立
1950年6月に勃発した朝鮮戦争は、戦後不況にあえぐ日本に「朝鮮特需」をもたらしただけでなく、GHQの日本の占領政策を一変させた。1952年4月、サンフランシスコ講和条約が発行すると、旧・財閥から民間賠償用としてGHQに接収されていた土地・建物の所有者に返還がはじまり、富士工業(太田市|太田、三鷹市|三鷹工場)、富士自動車工業(伊勢崎市|伊勢崎工場)を中心とした旧・中島飛行機グループ内での再合同の動きがにわかに活発化、1952年12月、大宮富士工業(大宮市|大宮工場)、東京富士産業(旧・中島飛行機・本社)を加えた4社が合併同意文書に調印した。同じ頃、1953年の保安庁(現:防衛省)予算に練習機調達予算が計上され、航空機生産再開に向けて、アメリカ合衆国|アメリカ・「ビーチクラフト|ビーチ・エアクラフト・T-34 (航空機)|T-34 メンター」の製造ライセンス獲得に国内航空機メーカー各社は一斉に動き出した。当時、再合同の途上にあった旧・中島飛行機グループも再合同の動きを加速。1953年5月には、鉄道車両メーカーとなっていた宇都宮車輛(宇都宮市|宇都宮工場)が新たに再合同に参加することが決まり、1953年7月15日、5社出資による航空機生産を事業目的とする新会社「富士重工業株式会社」が発足
[本社は東京都新宿区角筈(現:富士重工業本社・スバルビル所在地)である]。1954年9月、6社が合併契約書に調印。1955年4月1日、富士重工業は、富士工業、富士自動車工業、大宮富士工業、宇都宮車輛、東京富士産業の5社を吸収し、正式に「富士重工業株式会社」としてスタートした(当時の資本金:8億3050万円、従業員:5643名)旧・中島飛行機の発動機開発の拠点だった荻窪 (杉並区)|荻窪工場と浜松工場を引き継いだプリンス自動車工業|富士精密工業は、中島飛行機再合同の動きが本格化した1952年には、すでにタイヤメーカーのブリヂストンの会長でもある石橋正二郎個人が筆頭株主の会社(ブリヂストンの資本系列とはなっていないが銀行は事実上のブリヂストン支配の会社と認定していた)になっており、メインバンクの違いから再合同には参加しなかった。
[1954年、戦前の立川飛行機の転進で、同じくブリヂストン傘下にあったプリンス自動車工業と合併、富士精密工業としてスタートした後、1961年、プリンス自動車工業と名称を変更、日産・スカイライン|スカイライン、日産・グロリア|グロリア、皇室御料車プリンスロイヤルなどを開発。1966年、日産自動車に吸収合併された。]。また、この時再合同に加わらなかった、富士機械工業(現:マキタ沼津)など3社も、のちに富士重工業の関連会社として加わっている。富士重工は、1966年に東邦化学株式会社と合併し、存続会社を東邦化学株式会社とした。この存続会社の東邦化学株式会社は1965年に商号を富士重工業株式会社と改めた上で合併しているため、一貫して継続した同一名称ではあるが、法律的には従来の富士重工業は1965年に一旦消滅している。これは株式額面金額変更が目的の事務的なものである。
[[http://www4.atwiki.jp/sysd/pages/1513.html]企業情報@Wiki 富士重工業] その後の推移と業務提携
1968年から1999年まではメインバンク(日本興業銀行/現:みずほコーポレート銀行)が同じ日産自動車と提携していたが、提携効果があまりなく、新車種も一部の#ユーザー層|マニアックなユーザー層(いわゆる「スバリスト」)以外には歓迎されず、経営状況は悪化の一途を辿った。この状況がやや持ち直すのは、1989年に在来モデルに代わって発売された初代スバル・レガシィ|レガシィが市場で成功を収め、中級車市場での安定した評価を獲得してからであるが、以後も確固たる基盤を得るまでには至っていない。1987年にはアメリカでの現地生産にあたり、いすゞ自動車と共同出資でスバル・オブ・インディアナ・オートモーティブ|スバル・イスズ・オートモーティブ(SIA)を設立。共同の現地生産拠点を立ち上げ、OEMによる完成車の相互供給も行なわれたが、2003年にいすゞのSIAからの撤退をもって関係を解消している。バブル崩壊後、日産自動車が経営不振に陥り、経営再建の一環として日産自動車保有の富士重工業株の売却を決め、2000年に放出株全てがゼネラルモータース(GM)に売却された。だがGMと提携しても、同傘下のSAABにインプレッサ・スポーツワゴンのOEM車種サーブ9-2Xを提供したり、GMのタイ工場からオペル車のOEMであるスバル・トラヴィック|トラヴィックの供給を受ける程度で、提携効果は十分に発揮されない状態だった。この停滞を活性化するため、2003年から開発がスタートした「B9トライベッカ」ではサーブ版を最初からサーブ側と共同開発する計画だったが、GMの業績悪化に伴い2005年10月5日には、GMが保有する富士重工株20%をすべて放出し、この共同開発も取りやめられた。放出株のうち8.7%をトヨタ自動車が買い取って筆頭株主となり、富士重工とトヨタが提携することで合意した。ゼネラルモータースグループのスズキ (自動車メーカー)|スズキと、軽自動車の部品の共通化などをすすめてきていたが、その後ははトヨタ及びトヨタ傘下のダイハツ工業との共通化が進むと推測されていた。実際には2008年以降軽自動車の開発製造を順次終了することを表明する結果となったが、ダイハツよりOEM供給を受ける予定であることから、軽自動車の販売自体は継続することとなる。
軽自動車部門から撤退
2008年4月10日にトヨタが第三者増資で17%程度まで行い、富士重工業の軽自動車部門は、2009年以降段階的に自主生産から撤退し、ダイハツ工業からのOEM供給を行うことを表明した。ブランド名は継続するかどうかは現在のところ不明。
航空機再生産
1953年9月、富士重工業は「ビーチクラフト|ビーチ・エアクラフト」と「T-34 (航空機)|T-34 メンター」製造ライセンス契約に調印。1955年10月、国産1号機を完成させ、防衛庁への納入が始まった。
さらに1957年11月、戦後初の国産ジェット機「T-1 練習機(初鷹)」の開発に成功。中等練習機として1963年までに66機を防衛庁(現:防衛省)に納入した。1965年8月、民間向け軽飛行機FA-200|FA-200「エアロスバル」の初飛行に成功。翌1966年10月から販売を開始。低翼式の機体を採用したFA-200は低速時の安定性に優れ、アクロバット飛行なども可能な万能機として好評を博し、298機を生産した。戦後初の国産旅客機「YS-11」の開発にも参加。主翼桁と尾翼を担当。この経験はのちに、1973年12月、アメリカ合衆国|アメリカ・ボーイング|ボーイング社とボーイング747|ボーイング747の生産分担契約に実を結び、1974年には新世代旅客機ボーイング767の国際共同開発プロジェクトに参加。国際分業に大きな役割を果たした。1974年、富士重工業はアメリカ合衆国|アメリカ・ロックウェル・インターナショナル社と双発ビジネス機、FA-300の共同開発を開始。1975年11月に初飛行に成功、1977年から販売を開始した。しかし、その後、ロックウェル社が軽飛行機部門からの撤退したため、計画が頓挫。42機の生産実績に留まった。
自動車技術
メーカーとしての原点を、戦前の航空機メーカー・中島飛行機に持ち、創業期に元航空技術者たちが自動車開発に携わってきたという歴史から、航空機に通じる機能性・合理性優先で、既成概念に囚われないユニークなメカニズムを特徴とする自動車を多く送り出してきた。そのスタンスは日本の自動車メーカーの中でも、特に技術至上主義の傾向が強い。
初期の自動車群
その初期の製品は、航空機開発によって培われたデザインポリシーにより、軽量かつ操縦性に優れスペース・ユーティリティをも満たした高度な設計が為され、市場をリードした。1954年に試作されたスバル・1500では、日本製乗用車として初のフル・モノコック構造を採用している。1958年発売のスバル・360は、「大衆車|国民車構想」
[高性能で廉価な小型大衆車を「国民車」として優遇する計画。当時の通産省内部で1955年に企画され、新聞にスクープされたが、結局正式な施策とはならなかった。内容は技術・コスト両面で無理の多いもので、「(当時の)技術レベルでは机上の空論」として、日本の既存メーカー各社は冷淡な反応を示した。富士重工業も国民車構想を意識したわけではなく、またスバル・360も価格面で国民車構想の条件を満たすことは出来なかった。]の内容に近い水準の自動車を、高度な技術で具現化したもので、「大人4人が乗れる初めての軽自動車」となり、日本人にとって自動車を身近なものにした。1966年発売のスバル・1000では、縦置き水平対向エンジンによる前輪駆動レイアウトを採用し、以後、四輪駆動車を含む現行主力モデルに至るまでこれを踏襲している。またこの「スバル・1000」では、前輪駆動車にとっての重要部品である「等速ジョイント」の完成形の一つと言えるダブル・オフセット・ジョイント(D.O.J)をジョイントメーカーとの協力で世界初採用し、1970年代から世界的に盛んとなった小型車の前輪駆動化の潮流に先鞭をつけた。
水平対向エンジンと四輪駆動
現行の主力モデルでは、水平対向エンジンを車体前方に縦置き搭載して四輪を駆動するSYMMETRICAL AWD(シンメトリカルAWD)構造を特徴としている。水平対向エンジンは、量産型の乗用車用エンジンとしては、2007年現在、富士重工業とポルシェしか採用していない。水平対向エンジンは、クランクシャフトを軸にピストンを180度開いた位置に配置しているため、直列エンジンやV型エンジンに比べ本質的に重心位置が低い。また、向かい合うピストンがお互いの慣性力を打ち消し合うように、それぞれ外に振り出されるため、本質的に直列エンジン、V型エンジンより回転バランスに優れる。特に水平対向6気筒では二次振動が理論上「0」という完全バランスを得られる。さらに富士重工業の場合、フロントデフもトランスミッションケース内に収納しているため、軽量でコンパクト、なおかつドライブトレインを上から眺めたとき完全な左右対称となっており、自動車の運動性能向上に有利なレイアウトといえる。また、4気筒エンジン同士の比較では、クランク長が直列エンジンの2/3と短くでき、エンジンとミッションの縦置きレイアウトのため重量を前後に分散することが可能で、車両の前後重量バランスに優れる。パッシブ・セイフティ(受動安全性)の面からも、前面衝突時にエンジンがフロントバルクヘッド下に潜り込むような形になるため、エンジンがキャビンを変形させる確率が低く、フロントのクラッシュ・ストロークを長く取れる利点がある。
四輪駆動(AWD)乗用車開発
このレイアウトで発売された初のモデルは、1972年のスバル・レオーネ|レオーネエステートバン1400 4WDで、本格的な量産ラインで生産される自動車としては世界初の四輪駆動乗用車
[1902年のスパイカー以後、乗用型の四輪駆動車自体は少なからず存在していたが、いずれも特装車・少量生産車に留まり、四輪駆動はジープに代表されるヘビーデューティな車両向けの技術と見られていた。]となった。自動車の運動性能にもたらす四輪駆動の効果に世界中の自動車メーカーが注目する端緒となったドイツのアウディ|アウディ・クワトロの発売は1980年であり、富士重工業は四輪駆動乗用車技術の長さではアウディをも上回る。2007年現在、軽自動車を含む全車種に四輪駆動が展開されているが、特にスバル・レガシィ|レガシィ、スバル・フォレスター|フォレスターは全モデルが四輪駆動である。そのため、四輪駆動システムについても、その初期から様々な試みがなされており、世界の自動車メーカーのベンチマークとなっている技術も数多い。一方、1972年に四輪駆動車を実用化していたことから、社内にアウトドアを嗜む人々も多く、そのことがツーリングワゴン、レガシィ・アウトバックといった、他社がなかなか商品化に結びつけられなかった、四輪駆動ステーションワゴン、SUV|クロスオーバーSUVといった新規マーケットの開拓につながったといわれている
[1972年のレオーネエステートバン1400 4WD発売以来、主要マーケットであるアメリカでは「優れた悪路踏破性を持つ乗用車」というレジャー性を備えた多目的車としての認知がいち早く進んだ一方、日本国内では「ジープより悪路踏破性に劣るAWD」という特殊車的位置付けをなかなか変えることが出来ず、そうした一般認知を転換する努力がジープ・ジャンボリーや悪路におけるメーカー主催の「レオーネ4WD全国試乗キャラバン」などにより続けられていた。また、4WDとアウトドアライフを併せた訴求も、広報誌「カートピア」などを通じ、早くも1970年代中盤から開発担当者自らが、主に「プライベート・アウトドアライフにおける4WDの利便性」を語る形で続けられていた。1970年代を通じ、こうした自動車とレジャーとの関わりを訴求する国産メーカーは当時まだなかった。] 関連技術
1981年、後輪駆動用トランスファーに、世界で初めて流体式の電磁式油圧多板クラッチを実用化したフルタイムAWDオートマチックを発売。この油圧多板クラッチによる前後輪回転差吸収技術は、現在では派生技術である世界の自動車メーカーのAWD技術のスタンダードとなっている。また、この電磁式油圧多板クラッチを発展させ、前後不等・可変トルク配分とエンジン出力制御、アンチロックブレーキシステム|ABSとの統合制御による高度な車両制御システムVDC(Vehicle Dynamics Control System、横滑り防止機構)も実用化。世界でもトップレベルのアクティブ・セイフティ技術として評価されている。このVDCは、すでに実用化されている自動運転支援システムADA(Active Driving Assist)や防衛関連事業で培った高度なロボット技術との統合制御による、完全自律運転システムへの発展が期待され研究が続けられている。
ラリー車技術への応用
AWDを積極的に自動車の運動性能・操縦性の向上に利用する取り組みでは、1990年からイギリス・:en:Prodrive|プロドライブ社との世界ラリー選手権|WRCへの参戦で、エンジン性能向上技術や、2004年まで、前、後、センター差動装置|デフのフルアクティブ化をはじめとする、膨大な技術的データ蓄積が得られているものと思われる
[富士重工業のWRC出場用エンジンは1990年の本格参戦から日本のSTIで開発・組立が行われており、WRCで使用されている技術が直接市販車に投入されることはないが、過酷なモータースポーツの現場におけるエンジン制御技術は一般市販車にも間接的に応用されている。また、市販車のAWD制御技術、およびアクティブセイフティ技術の開発には、WRCにおけるデータ、および技術が間接的に投入されているとされる。さらに、2006年以来のWRCにおける成績不振から、2007年、WRC車両自体の開発もプロドライブから富士重工業・STI主導で行うように組織改編が行われ、市販車とWRC関連技術との結び付きはより強まっている。]。WRC参戦用ベース車両であるインプレッサの市販型では、WRCからの直接のフィードバックはないものの、1994年に登場したドライバーズコントロールセンターデフ|DCCD(ドライバーズコントロールセンターデフ)制御に、2002年、4輪の車輪速センサー、横Gセンサー、スロットルセンサーなどから4輪のグリップバランスを把握して、最適な前後駆動トルクを自動的に配分する「DCCD-AUTO」モードを装備。2004年には新たに、ラダー (航空機)|ヨーレートセンサーを加え、さらに前後差動装置|LSDとの協調制御により、操縦感覚の良さと速さを両立している。世界ラリー選手権|世界ラリー選手権(WRC)では、1995年、1996年、1997年と日本の自動車メーカーでは唯一、WRCマニュファクチャラーズ・タイトル3連覇を果たしており、1995年、2001年、2003年のドライバーズ・タイトルの獲得とあわせ、WRCトップコンテンダーとして、世界各国に多くのファンを持っている。
無段変速機(CVT)の量産化
現在広く使われているスチールベルト式無段変速機を「ジャスティ」向けに日本で初めて導入、改良して「ECVT」の名で量産した(オランダ・ファンドーネ社と共同開発)。小排気量車向けのみが同社車種及びイタリアフィアット|FIAT社のフィアット・プント|プント、フィアット・パンダ|パンダに搭載された。CVTの技術はその後日産自動車にライセンスされ、日本メーカー各社が主にコンパクトカーなどに採用しているJATCO社製「ハイパーCVT」のベースとなったといわれている。現在のところ、スバルのCVT搭載車は現在では軽自動車のみであるが、軽自動車にCVTを多く採用するメーカーの代表格となっている。2007年現在、スバルの軽自動車はスバル・サンバー|サンバーを除きCVT車を設定している。
その他の技術開発
その企業規模から多くのプラットフォームを持つことができないため、全てのセグメントに応じた車種を提供できない弱点がある。そのため、他メーカーよりも徹底した年次改良を施すことで、既存製品の商品力維持を図っている。スバル・サンバー|サンバー貨物自動車|トラックは、軽トラック・バンで唯一となった二輪駆動|リアエンジン方式ならではのトラクション性能と、フル・キャブオーバー型の堅持による最小回転半径の小ささなどで、農家や運送業者など、軽貨物車ユーザーの一部に根強い支持層を持つ。農業協同組合|JA向けの特装車両や、軽運送の赤帽用に標準車の耐久性・使い勝手を考慮した特装車両が存在する。軽トラックの四輪駆動は現在では当たり前の装備となっているが、その中で初めて四輪駆動を採用したのもサンバーである(1980年、パートタイム式)。これは愛媛県のみかん農家からの登坂力確保の要望がきっかけであった。電気自動車|電気自動車(EV)の開発については、1960年代後半に国産メーカー各社の開発競争があり、1971年第18回東京モーターショーに、スバル・ff-1 1300Gバンをベースにソニー製燃料電池を採用した「スバル・エレクトロワゴンX-1」を参考出品している。その後、あまり目立った動きはなかったが、突如2002年5月、日本電気|NECと富士重工業との共同出資による合弁で 「NECラミリオンエナジー」 を設立し、自動車用マンガン系リチウムイオン組電池の開発開始を発表した。2005年6月、東京電力と共同開発による軽自動車「スバル・R1|R1」をベースにしたEV、「スバル・R1|R1e」を公開、すでに2007年春から納入を開始している。資本提携関係にあるトヨタ自動車|トヨタからのハイブリッド技術供与もすでに発表されており、今後の推移が注目される。また、2005年に開発を発表した「水平対向ディーゼルエンジン」が2007年3月、スイス・サロン・アンテルナショナル・ド・ロト|ジュネーヴ・モーターショーで公開され、2008年3月、ドイツを皮切りにEU各国に向け発売が開始された。世界初の水平対向ディーゼルエンジン|ディーゼル・ターボエンジンは「EE20」型 と名付けられ、1,800気圧の噴射圧を持つデンソー製コモンレール・インジェ久ター、IHI製可変ノズルターボを装備。1,998ccの排気量から最高出力:150ps/3,600rpm、最大トルク:35.7kg-m/1,800rpmを発生。CO2排出量は148g/kmで、EUの排気ガス規制である「ユーロ4」に対応している。アメリカ合衆国|アメリカ、日本市場への2010年までの導入を目指し開発が進められている。
ブランド名「スバル」の由来
富士重工業の自動車ブランドである「スバル」=「昴」とは、元来、プレアデス星団を意味する。日本では古くから六連星(むつらぼし)とも言われ、奈良時代の古事記や日本書紀
[いずれも史書。『万葉集』で「須売流玉(すまるのたま)、また、『日本紀竟宴和歌』では「儒波窶玉(すばるのたま)」など、玉飾(たまぐし)を糸でひとくくりとしたものを「すまる・すばる」と呼び、「統一されている」「ひきいられている」という意味から、プレアデス星団が「すばる」と呼ばれるようになったといわれている。]、平安時代の『枕草子』
[清少納言の随筆。「ほしはすばる ひこぼし ゆうづつ よばひほし すこしをかし をだになからましかば まいて」という記述がある。]にも記述を確認できる古語である。「スバル」の商標が初めて使用されたのは1955年、富士重工業が自動車市場への参入を狙い開発した乗用車・「スバル・1500」でのことで、富士重工業初代社長・北謙治の命名による。富士重工業が旧・中島飛行機系5社を吸収合併するという形で誕生したことから、この6社を「統べる」=「統合する」との意志が込められている。また、現在の富士重工業のコーポレートアイデンティティ |CI(コーポレート・アイデンティティ)である「六連星マーク」は1958年登場のスバル・360にて、富士重工業の社内募集案(プレアデス星団を型取った形)に、スバル・360の基本デザインを担当した社外インダストリアルデザイナー|工業デザイナーの佐々木達三が手を加えたものを採用したのが起源である。以後何度かのデザイン変更が行われ、途中で実際の星座の配列を無視した形となりながらも、星6つ(大1、小5)の基本モチーフは継承され現在に至っている。富士重工業の代名詞として「スバル」の名が広く定着したことから、一時期「スバル株式会社」への社名変更を計画したが、創業50周年の2003年7月15日をもって、従来の社名のカタカナ書きの頭文字に由来する「フ」マークの社章を自動車ブランド・スバルと同じ「六連星」に変更するにとどまった。プレアデス星団の語源となったプレイアデスは、ギリシャ神話の神である巨人アトラスと精女プレイオネーとの間に生まれた7姉妹といわれ、長女から順に「マイア、エレクトラ、タイゲタ、アルキュオネー、ケラエノ、アステロペ、メロペ」と呼ばれている
[参考資料:フェロールーム株式会社「スバルの40年1958-1998」]。このうち「マイア」はスバル・360|スバル・450の対北米用の輸出名、および3代目スバル・レオーネ|レオーネのスバル発売30周年記念特別仕様車として、「アステロペ」は1987年にスウェーデンのボルボ社と共同開発した観光バスのボルボ・アステローペとして、「エレクトラ」は1994年からスバルテクニカインターナショナル|STIが発売を始めたアルミホイールの商品名と、2000年に発売されたスバル・インプレッサ|インプレッサS201STIバージョンのパイロットモデル名として、「ケラエノ」は1977年、「ケレーノ」として北米向けに発売したスノーモービルの製品名として、「アルキュオネー」は英語読みの「アルシオーネ」で1985年発売のスバル・アルシオーネ|アルシオーネと、1991年発売のスバル・アルシオーネSVX|アルシオーネSVXに使われている。その他の2名称は現在までのところ富士重工業製品に使用されていない。一部で谷村新司のヒット曲『昴 (歌)|昴』について「元々はこの会社のイメージソングであった」とされるが、これは正しくない
[『昴』の歌詞は明らかに訣別をテーマにしており、会社のイメージソング向けではない]。富士重工業を意識して製作された歌謡曲は、実際には『我が人生は昴なり』(作詞作曲:石坂まさを、唄:美帆さゆみ)である。作曲家の石坂まさを自身が熱烈なスバルファンであり、「生真面目で人情味あるスバルの姿を唄い上げたもの」と公言している。原作は『我が人生はスバルなり』であったが、発売時には商品イメージを消すためにあえて漢字の「昴」を当てている。なお、スバルの中国語表記は「
速覇陸(速覇陸)」である。
ユーザー層
主力車種である普通車カテゴリーでは、他メーカーより比較的男性ユーザーの割合が多いといわれている。古くから「スバリスト」と呼ばれる熱心なファンが存在する。前身が航空機メーカー中島飛行機という、他の国産自動車メーカーとは全く違う歩みを持ち、かつてのスバル・360、スバル・1000以来の独創的メカニズムや、他メーカーの製品とは異なる乗り味に惹かれ、スバル車を乗り継ぐ人々である。一方、1989年のスバル・レガシィ|レガシィ発売以来、スバル・インプレッサ|インプレッサ、スバル・フォレスター|フォレスターなど、新世代のスバル車の「走り」に惹かれて愛好する層も多い。雑誌『ベストカー』の調査によれば「車好きの間で日本で最も好感度の高いメーカー」としてスバルが圧倒的な第1位となっており、いわゆる「クルマ好き」、「走り屋」からの支持が厚い。現在では衰退傾向の強いマニュアルトランスミッション(MT)の設定がスバル車では比較的充実していることも影響している。プレイステーション用ゲームソフト、「グランツーリスモ (ゲーム)|グランツーリスモ」をはじめ、家庭用ゲーム、アーケードゲームを問わず、多くのドライビング・シミュレーションゲームや各種メディアにおけるスバル車の登場頻度は非常に高く、現実の世界ラリー選手権|世界ラリー選手権(WRC)でのスバル・インプレッサ|インプレッサの活躍とも相まって、子供から大人まで世界的な人気がある。
スバル車販売店
正規ディーラーの「スバル店」(全国46社・うち富士重工業出資34社)のほかに、サブディーラー(個人経営店舗)の「スバルショップ」(旧称・スバルスコープ店)があり、また一部の農業協同組合|JAでも取り扱っている例もある。都市部の一部ディーラーではボルボ・カーズ|ボルボやSAAB|サーブ、ポルシェの輸入車も取り扱っていたこともあったが、サーブは2005年に、ボルボは2006年に販売から撤退した。また、いすゞ自動車の一部ディーラーでも、スバル車を取り扱っている所もある。また、前述の直営販社を今後、地域別に統括会社を設置し、その他の販社をその傘下にする形で販社統合が実施される予定(出資34社のうち、11程度の統括会社と4程度の独立販社(現状を維持)、それ以外の会社を事業会社とし、経営のスリム化・効率アップを図り、かつ車両販売・アフターサービスの維持のため、販社合併は行わない形とし、現状の販売・アフター体制は継続される)。
生産拠点
スバル自動車部門
群馬製作所本工場(群馬県太田市スバル町=旧町名・東本町)
主に軽自動車を生産している。
群馬製作所矢島工場(群馬県太田市庄屋町)
主にスバル・レガシィ|レガシィシリーズ・スバル・インプレッサ|インプレッサシリーズ・スバル・フォレスター|フォレスターなどの乗用車を生産している。
群馬製作所太田北工場(群馬県太田市金山町)…通称・呑竜工場(中島飛行機創業の地)
主にスバル・サンバー|サンバーのシャシを生産している。ラビットスクーターもここで製造されていた。
群馬製作所大泉工場(群馬県邑楽郡大泉町いずみ・太田市朝日町)
自動車用パワーユニット(エンジン及びトランスミッション)を生産している。
今後この近隣地に新工場を立ち上げ、本工場より移管予定(トヨタ自動車との共同開発車種等を製造)。
スバル・オブ・インディアナ・オートモーティブ|スバル・オブ・インディアナ・オートモーティブ・インク (SIA) 航空宇宙部門
宇都宮製作所(栃木県宇都宮市)
宇都宮製作所半田工場(愛知県半田市) 産業機器部門
埼玉製作所(埼玉県北本市) 環境技術部門
エコ宇都宮工場(栃木県宇都宮市)
塵芥収集車・フジマイティーを生産。業界ではトップシェアを誇る。 住宅事業部門
伊勢崎事業所(群馬県伊勢崎市)
車種一覧
現行車種
乗用車
現行のスバルの乗用車はすべて3ナンバー車である。現在のところ、軽自動車を除く乗用車がすべて3ナンバー車である国産車メーカーはスバルのみである。
スバル・フォレスター|フォレスター
スバル・インプレッサ|インプレッサ(3代目以降は国内向けは5ドアハッチバックのみ)
スバル・レガシィ|レガシィ(B4、ツーリングワゴンを含む)
スバル・アウトバック|アウトバック(現在はレガシィ・アウトバック) 軽自動車
スバル・R1|R1
スバル・R2|R2
スバル・ステラ|ステラ
スバル・プレオ|プレオ(2008年4月現在商用シリーズ(4ナンバー車)のみ)
スバル・サンバー|サンバー 日本未発売車種
スバル・アウトバック|アウトバック(4ドアセダン/5ドアハッチバック)
スバル・インプレッサ|インプレッサ(2.5L)
スバル・トライベッカ|トライベッカ
スバル・バハ|バハ(BAJA)
スバル・ジャスティ(ダイハツ・ブーンのOEM) 過去の国内販売車種
スバル・1500:(P-1)発売には至らなかった幻の車。
スバル・360
スバル・1000/スバル・ff-1/スバル・ff-1 1300G
スバル・R-2
スバル・レオーネ|レオーネ
スバル・レックス|レックス
スバル・ドミンゴ|ドミンゴ
スバル・ジャスティ|ジャスティ
スバル・アルシオーネ|アルシオーネ
スバル・アルシオーネSVX|アルシオーネSVX
スバル・ヴィヴィオ|ヴィヴィオ
スバル・ビッグホーン(OEM)
スバル・トラヴィック|トラヴィック(OEM) 過去の海外専売車種
スバル・ブラット|ブラット
サーブ・9-2X(2代目スバル・インプレッサ|インプレッサスポーツワゴンのOEM)
スバル・ジャスティG3X(スズキ・イグニスのOEM) 過去の委託生産車種
日産・チェリー・日産・パルサー・日産・マーチ(日産自動車より委託生産、スバル向けOEM車の設定はなし) 今後の車種展開
「今後発売が予想される車種」及び「今後販売終了が予想される車種」、また同様の意味を持つ節の設置についてはプロジェクトとして禁止されています。以下の節の追加には、ソースの明記を義務化する(極力一次ソースを優先する。一般紙・テレビの情報もメーカーに取材した物で、サイトに明記した情報が有れば可とする。)。
メーカーより今後発売が公表されている車種
*名称未定(ダイハツ・クー|クーのOEM車)(2008年秋頃)
スバル・エクシーガ|エクシーガ(2008年6月頃) メーカーより今後販売終了が公表されている車種
航空宇宙部門
日本航空業界の草分けである中島飛行機の後身で、現在も日本の航空宇宙業界で第三位であり、小型練習機やボーイング社向け分担生産を中心としているが、日本興業銀行が株主となり、役員を派遣して経営陣を占めるようになると、冒険的な航空宇宙事業への理解は低くなり、T-1の後継機であるT-4 (練習機)|T-4の受注競争に敗れると決定的になった。三菱重工業|菱重や川崎重工業|川重、石川島播磨重工業|IHIなどと違い、現在の自社ウェブサイトには航空事業の詳しい項目が無い。US-1|US-1A改開発の際、防衛庁関連で汚職事件を起こしたことも、社名に傷を残すこととなった。一方、主翼など翼部製造の優秀さは定評があり、ボーイングからも表彰されているほか、国内開発でも貢献している。YS-11開発参加やFA200販売で国産機の実績を積んだものの、日米共同で開発したFA-300が大失敗した為、民間機の自主制作からは手を引いていたが、21世紀に入ってから三菱や川崎が独自の旅客機計画を進めたため、10〜15席程度の小型民間旅客機の開発計画を発表し、実現が期待されている。また、海外企業とも共同開発を行っている。 沿革
1958年(昭和33)1月16日 - 第二次世界大戦後日本初のジェット機T-1 (練習機)|T-1練習機を開発し初飛行に成功する。
1978年(昭和53)1月17日 - T-3 (練習機)|T-3練習機が初飛行。3月から量産機が納入された。生産機数は50機。
1987年(昭和62)4月27日 - T-5 (練習機)|T-5練習機が初飛行。
主力であった航空機製造からベルエアクラフトとのライセンス契約によるヘリコプター|ヘリコプタ製造(UH-1 (航空機)|UH-1とAH-1_コブラ|AH-1)へと傾き、長年低迷していたが、現体制の中期経営計画FDR-1により航空機製造を中心として息を吹き返しJIS-Q-9100制定にあたり中心的役割を果たした。
1994年(平成6)4月9日、ボーイング777の1号機がロールアウト。「世界最大の双発旅客機」の開発・製造に参加し中央翼を分担する。
2002年(平成14)7月9日 - T-3改が初飛行。2003年(平成15)4月にT-7 (練習機)|T-7練習機として制式採用された。
2002年(平成14)6月 - エアバスA380に参加。垂直尾翼前縁・翼端、フェアリングを分担する。
2005年(平成17)に開発が決定したボーイング787の開発にも参加している(詳しくはYX共同開発を参照)。 納入実績
防衛省(自衛隊)向
T-1 (練習機)|T-1A/B中等練習機
J/AQM-1 無人標的機
FFOS|遠隔操縦観測システム FFOS
航空機用シミュレータ;ライセンス生産
T-34 メンター|T-34A練習機(ビーチクラフト)
LM-1|LM-1/2多座席連絡機(国内開発)
KM-2|KM-2練習機・TL-1練習連絡機(国内開発)
T-3 (練習機)|T-3初等練習機(国内開発)
T-5 (練習機)|T-5初等練習機(国内開発)
T-7 (練習機)|T-7初等練習機(国内開発)
UH-1 (航空機)|UH-1B/H/J 多用途ヘリコプタ(ベルエアクラフト)
AH-1 コブラ|AH-1S 対戦車ヘリコプター|ヘリコプタ(ベルエアクラフト)
AH-64 アパッチ|AH-64D 戦闘ヘリコプター|戦闘ヘリコプター(ボーイング)
パトリオットミサイル|ペトリオット中距離地対空誘導弾用アンテナマストグループ(レイセオン);分担生産
F-2 (支援戦闘機)|F-2支援戦闘機(主翼・尾翼等)
T-4 (練習機)|T-4中等練習機(主翼・尾翼・キャノピー|キャノピィ)
OH-1|OH-1小型観測ヘリコプタ(尾翼・キャノピィ等)
US-1|US-1A救難飛行艇(主翼外翼・ナセル (曖昧さ回避)|ナセル・尾翼)等
P-3 (航空機)|P-3C対潜哨戒機(主翼ライセンス生産)
U-125 (航空機)|U-125A救難捜索機(装備品取り付け・納入前整備)等 民間向
自社開発
FA-200|FA-200 エアロスバル
FA-300(富士710、ロックウェル・インターナショナル社と共同開発)
ドライビング・シミュレータ
FFOS|RPH-2 無人ヘリコプター; 分担生産
ボーイング737(エレベーター (航空機)|エレベーター)
ボーイング747(エルロン、スポイラー (航空機)|スポイラー)
ボーイング757(アウトボード翼#高揚力装置|フラップ)
ボーイング767(YX共同開発、主脚扉・翼胴フェアリング)
ボーイング777(共同開発、中央翼・主脚扉・翼胴フェアリング)
ボーイング787|ボーイング787 ドリームライナー(共同開発、中央翼)
エアバスA380(垂直尾翼構造)
ホーカー ホライゾン M4000(主翼構造及びシステム開発)
ベルエアクラフト|ベル・アグスタウェストランド BA609 (航空機)|BA609 ティルトローター機(胴体構造開発)
エクリプス・エビエーションエクリプス500(主翼)
ボンバルディアDHC-8 (航空機)|DASH-8; ライセンス生産
UH-1 (航空機)|204B 中型物輸ヘリコプタ(ベルエアクラフト)
205B 中型物輸ヘリコプタ(ライセンスを受けて独自改良) 宇宙関連機器
H-IIAロケット
ピギーバック衛星
テレジット(人工衛星)産業機器
「ロビン」ブランドの小型汎用エンジンを開発・生産し、汎用エンジン業界ではシェア世界第4位。富士重工業内では唯一、米国と中国に生産拠点を持っている。これらのエンジンは取り扱いの容易さと抜群の耐久性などで、主に土木工事現場で使われるランマーや発電機、コンクリートカッター、灌漑用のポンプ、構内作業車(モートラック)などに動力源として搭載される。
また、ゴルフカート、スノーモービル、全地形対応車|ATV(バギー車)、などに搭載されるエンジンも開発、生産している。これらのエンジンのほとんどはOEM供給されているため、一般人の目に触れる機会はほとんど無い。*ロビンエンジン
EY15(汎用)
EY20(汎用)
EX17(汎用)
EX30(汎用)
EH29(ゴルフカート用)
EH50(ATV用)
ES50(ATV用)
EC55(スノーモービル用)
ロビンジェネレーター
スバル・ナイター(投光機)
電動刈払い機
スノーモービルモータースポーツ
ラリーではインプレッサが有名。かつては、レオーネやレガシィ、ヴィヴィオで参戦していた。
世界ラリー選手権|世界ラリー選手権(WRC)
米国ラリー選手権
スーパー耐久
SUPER GT
フォーミュラ1|F1(1990年、コローニにエンジンを供給。一度も予備予選を通過することなく第8戦イギリスグランプリ|イギリスGPを以って撤退)環境技術
フジマイティー(塵芥車)
風力発電システム
各種プラント住宅事業
富士重工では、小型のプレハブ住宅を製造しており、以前は通信販売で名高いセシールでも扱っていたことがある。過去の商品
二輪車(スクーター)
「ラビットスクーター」 バス車体架装事業
1946年に小泉ボデー製作所(当初別会社)でスタートし、日本で初めてのフレームレスモノコック構造によるリヤエンジンバス「ふじ号」(1949年)の開発に成功。後に富士自動車工業となり、スバル360等の開発を行い、現在の主力であるスバルブランドの乗用車にも発展した事業である。一時期は日産ディーゼル工業を中心に大型自動車メーカー4社のバス (交通機関)|バス車体を架装し、バス車体シェア1位を誇っていたが、シャーシメーカーのバス車体内製化(子会社での生産)で生産台数が減少した。1998年に三菱ふそうと日野自動車の架装から撤退、2002年1月に日産ディーゼルがバス車体の架装を西日本車体工業(西工、福岡県北九州市小倉北区)に集約することを決定したため、同年5月に事業存続は困難と判断し、伊勢崎製作所(現在のスバルカスタマイズ工房)で行っていたバス車体架装事業を終了する決定をした。このため、バス車体架装事業は日産ディーゼルとごく少数のいすゞ自動車を最後に2003年3月で終えた(最終生産車は東濃鉄道に納入された日産ディーゼル日産ディーゼル・スペースアロー|大型観光バス)。アフターサービスはスバルカスタマイズ工房(富士重工の子会社、西工製車体のメンテも行う)にて行っている。またボルボ社のシャシーを輸入し、ボルボ・アステローペ|アステローペシリーズと連節バスを製造していたが、これらも2000年に生産が終了した。 鉄道車両事業
の車内銘板
1950年頃から主に客車と気動車を旧日本国有鉄道|国鉄やJR、私鉄、第三セクター鉄道|第三セクター向けに、また、群馬・栃木に路線を持つ東武鉄道向けには電車を生産していたが、生産両数の低下により2002年5月に事業存続は困難と判断し、宇都宮車両工場(現在のエコ宇都宮工場)で行っていた鉄道車両事業を終える決定をした。なお最後に製造された電車は東武30000系電車(第6編成の4両)と気動車はJR北海道キハ261系気動車である。2003年2月に新潟トランシス新潟事業所(新潟県北蒲原郡聖籠町)へ事業譲渡。JR四国2000系気動車などの振り子式気動車はすべて富士重工製。
最終製造車両は地元を走る真岡鐵道のモオカ14型一般型気動車(2両)となった。なお、先述の伊勢崎事業所でも、東京都電車|東京都電2500形(軌間1067mmの杉並線専用車で、足回りは戦前の車両のものを利用。杉並線廃止後は車体のみ荒川線で再利用された)を製造していた。 生産された鉄道車両
気動車
南部縦貫鉄道キハ101・102、羽幌炭礦鉄道キハ11(富士重工業版レールバス)
LE-Car(バス車体の中・小型気動車)
LE-DC(ボギー台車 一般型気動車)
JR四国2000系気動車(振り子型特急型気動車)
智頭急行HOT7000系気動車(振り子型特急型気動車)等、第三セクターの特急・普通型気動車
日本国有鉄道|国鉄型気動車の一部
国鉄キハ58系気動車|58系・国鉄キハ40系気動車 (2代)|40系・国鉄キハ181系気動車|181系・国鉄キハ183系気動車|183系(一部)・国鉄キヤ191系気動車|191系検測車
JR北海道キハ283系気動車(振り子型特急型気動車)
他 電車
東武鉄道
東武2000系電車|2000系・2080系
東武5000系電車|5000系・5050系・5070系
東武6050系電車|6050系
東武8000系電車|8000系
東武9000系電車|9000系・9050系
東武10000系電車|10000系・10030系・10080系
東武30000系電車|30000系
東武100形電車 (軌道)|100形(東武日光軌道線|日光軌道線用車両)
200形(日光軌道線用車両)
営団地下鉄(現在の東京地下鉄)
営団2000形電車|2000形
東京都電2500の改造等(国鉄型特急車両の製造歴もあり) 客車
国鉄・JR関連の一部の車両等
国鉄12系客車|12系・国鉄24系客車|24系・国鉄50系客車|50系・JR東日本E26系客車|E26系 貨車
私有貨車の一部の車両等
タキ2800形(苛性ソーダ専用タンク車)
タキ5450形(液化塩素専用タンク車)
タキ9800形(石油類専用タンク車)
タキ12200形(セメント類専用タンク車)
タキ18600形(液化アンモニア専用タンク車)
タキ45000形(石油類専用タンク車)
ホキ10000形(石炭専用ホッパ車) 軌道モーターカー
スノーボード
1998年には、宇宙関連機器及び航空機部門の技術を使って、ハニカム構造オールカーボンのスノーボード「VTOL」が少数販売された。尚、販売はインターネットのみ50枚限定で販売された。スバルが作ったスノーボードとして、一部のマニアには、知られた存在である。スバルと名乗らず別ブランドで販売された。現在は販売されておらず、貴重な製品である。キャッチフレーズ
確かな技術を人のために(1990年代前半)
driver emotion(1990年後半)
「Think.Feel.Drive」(2003年〜2008年2月)
Fantastic moments (2008年3月〜)提供している主な番組
現在
水曜ドラマ (日本テレビ)|水曜ドラマ(22:00〜22:54迄)(この時間枠のスポンサーを本田技研工業|ホンダから引き継いだ、当初は30秒提供であったが、2007年4月から60秒提供に昇格)
SUBARU OFFTIME CRUISE
理由ある太郎
社会科ナゾ解明TVひみつのアラシちゃん!
中居正広の金曜日のスマたちへ(日産自動車との相乗り)
TBS土曜8時枠の連続ドラマ(木曜22時枠より移動)
土曜ドラマ (フジテレビ)|土曜ドラマ(同上、2007年7月から)
土曜プレミアム(前半枠ヒッチハイク (放送)|ヒッチハイク)
木曜洋画劇場
金曜ロードショー(後半枠カウキャッチャー (放送)|カウキャッチャー)
週末のシンデレラ 世界!弾丸トラベラー 過去
久米宏のTVスクランブル(終了)
天才・たけしの元気が出るテレビ!!(終了、途中で降板)
クイズ!当たって25%(終了)
水曜ロードショー (TBS)|水曜ロードショー(終了、途中で降板)
くりぃむしちゅーのたりらリでイキます!!(2007年3月15日で終了)
TBS木曜10時枠の連続ドラマ(2007年4月〜2008年3月。なお2008年1月〜3月ドラマ『だいすき!!』ではコラボレーションCMをオンエアしていた)*JNNニュースデスク
ネットワーク (ニュース番組)|ネットワーク JNN
ニュース22プライムタイム
JNNニュースデスク'88・'89|JNNニュースデスク'88 → JNNニュースデスク'89関連項目
*スバルテクニカインターナショナル|スバルテクニカインターナショナル(STI)
新井敏弘
スバルカスタマイズ工房
富士重工業硬式野球部
スバル販売会社一覧
青森スバル自動車
太田市(群馬県)
スバル最中
おおたコミュニティ放送|FM TARO
FJ1600
エンフィールド=ロビン・D-R400D
ジオット・キャスピタ
矢島タクシー
北宇都宮駐屯地
ディノス・レックス
サーフジェット
スバルビジターセンター
チームミヤタ
マキタ沼津
富士重工産機販売補足
外部リンク
富士重工業株式会社
富士重工製路線バスのページ
スバル
スバル・モータースポーツ
スバル用品株式会社
All Subaru cars since 1954 with pictures and timeline