スポンサード リンク
2008/05/01 日記<スバル・レオーネ1400クーペRX>
スバル・レオーネ1400クーペRX
スバル・レオーネ(SUBARU LEONE)は富士重工業で生産されていた乗用車である。セダンとステーションワゴンの他、多くのボディバリエーションを持ち、スバル・レガシィ|レガシィやスバル・インプレッサ|インプレッサが登場する前の基幹車種だった。
歴史
初代 (1971年-1979年)
初代は1971年10月7日に発売され、当初はクーペモデルのみの展開(グレードはDL・GL・GS・GSR)で、スバル・ff-1 1300G シリーズと併売されたが、1972年4月、2/4ドアセダン(スタンダード・DL・GL・カスタム・スーパーツーリング)、1100ccモデル(DL)、商用車のエステートバン(スタンダード・DL・スバル初の4WD)が追加され、ff-1からの世代交代を完了した。当時のトレンド及び提携先の日産自動車の影響が感じられる、ロングノーズ・ショートデッキの抑揚の強いデザインを持ち、スバル1000/ff-1シリーズのシンプルな機能美が失われたことから、古くからのスバルファンや、欧州車志向の強いCAR GRAPHICなどの自動車ジャーナリズムを嘆かせた。メカニズム的にもブレーキがアウトボードになり、スポーツモデルのステアリングギア比が遅くされるなど、スバル1000/ff-1の技術至上主義的な性格は薄められた。一方、レオーネの進歩的な部分としては、窓枠のないサッシュレスドアをバンを含む全車に採用したことが挙げられる。サッシュレスドアは富士重工業にとっては1960年の試作車「A-5」以来追求されてきたテーマで、今日まで採用を続けているが、現在はスバル・レガシィ|レガシィのみとなり、スバル・インプレッサ|インプレッサやスバル・フォレスター|フォレスターでは2007年のフルモデルチェンジとともに一般的なサッシュドアを採用している。さらに1972年12月1日には、専用ハードサスペンション、専用クロスレシオ5速マニュアルトランスミッションを装備したホットモデル・「RX」
[「RX」は、「Rally - X」=「ラリー競技での可能性、ポテンシャル」に由来する。]が追加された。基本的な構成は「1400GSR」と共通だが、量産車では日本初となる4輪ディスクブレーキを装備していたことが特筆される。1973年6月には、ピラーレスの2ドアハードトップが追加された。後席ヘッドクリアランス確保のためにリヤウィンドウ傾斜角がクーペから若干立てられ、15mm全高が高められている。4灯式フロントグリルとランドウトップ風の太いCピラーによる、元々アクの強い初代レオーネ中でも最も複雑なスタイリングを特徴とした。続いて1973年|73年10月のマイナーチェンジではセダン・クーペ・エステートバンのフロントグリルが変更され、インパネが先に発売されたハードトップと統一デザインとなった。またこの際、セダン1100は1200にスケールアップされた。1975年1月20日には日本初の4WD乗用車となる「4WD」が、同じく日本製前輪駆動車では初のフルオートマチック車(セダン・カスタムとハードトップGFに設定)と同時に発売された。
[1972年発売のレオーネ1400エステートバン4WDは、日本の自動車法制度上では「商用車」となるため、厳密に言えば「乗用車」ではなかった。]。同時にマイナーチェンジが行われ、セダン1200GLの追加、ホイールカバーの変更などが行われ、セダン1400シリーズのフロントマスクはハードトップと同じ丸型4灯ライトのものに変更された。1975年|75年10月にはSEEC-T方式により(50年規制を飛び越えて一気に、ツインキャブのスポーツ系も含めて)全車51年排出ガス規制適合を果たした。パワーダウンを補うため、この時既存1200→1400cc、1400→1600ccへと排気量アップが行われた。1977年4月には、日本初の全車53年度排気ガス規制適合を達成、今回もツインキャブのスポーツモデルは全て生き残り、スバルファンのみならず当時の車好きたちに喝采された。同時に大幅なマイナーチェンジが実施され、ボディサイズが拡幅され、リヤトレッドも50mmのサイズアップとなった。フロントマスクはどことなくアルファロメオを思わせるシンプルな造形となり、ホンダがシビックで流行させたアッパートレイ付きのダッシュボード、やリアデザインの変更により、初期型のアクの強さが軽減され、デザイン的にもかなり「クリーン」になった。同時にセダン・カスタムは新設定の最上級モデル・スーパーカスタムに取って代わられた。同77年11月にはセダン・2ドアハードトップにポンティアックの車名から拝借した「グランダム(Grandam)
[「Grand America」からの造語。「大いなるアメリカ、偉大なるアメリカ」の意。]」なる車種を追加した。同車は北米仕様と共通の大型バンパーや派手な色調のインテリアを特徴とした。
コマーシャル
1971年10月〜 : クーペ 「野性の響き〜どこから来たのかお前と俺」 : イメージキャラクター : 尾崎紀世彦
1972年2月〜 : 4ドアセダン 「クーペから生まれた魅惑のセダン」 : 尾崎紀世彦
1973年6月〜 : ハードトップ 「心ときめく夜のハードトップ」 : 鮎淵晴子
1973年12月〜 : 「FF自然(じねん)流〜野性の響き」
1975年10月〜 : レオーネSEEC-T「いいメカはシンプル〜信じられるかね、明智小五郎|明智君。」 : 怪人二十面相
1975年10月〜 : 「SPIRIT OF SUBARU〜飛行機野郎ノ主張アル車」
1978年7月〜 : 西郷輝彦、太地喜和子
画像:1975 Subaru DL.jpg|エステートバン1600 4WD
画像:Leone coupe1400RX.jpg|クーペ1400RX
2代目 (1979年-1984年)
二代目(ニューレオーネ、エンジンEA81他)は1979年6月1日に発売され、ボディサイズは拡大され、排気量も最大1800ccに拡大され、ホンダ・アコードを強く意識した設計となった。ボディタイプは、二代目アウディ・80に良く似た4ドアセダン、やや流行遅れのオペラウインドウを持つ2ドアハードトップ、エステートバンに加え、「スイングバック」と呼ばれる、全長270?、ホイールベース80?短縮されて全長を4メートル以下に抑えた3ドアハッチバックボディが用意された。スイングバックには1300ccの廉価版も用意されたので、二代目レオーネは、いずれもスバル初のパワーステアリング・パワーウインドウ・オートエアコンが装備可能だったトップモデルの1800GTSまで、広範囲をカバーするラインナップとなっていた。また、好評の4WDモデルもセダン・エステートバン・スイングバックに用意され、スイングバックにはツインキャブのスポーツモデル1600SRXも存在した。しかし、エンジンは依然OHVのままで、3段式オートマチックや手動式チョークなど、スバル1000以来の進歩的設計もさすがに旧態化が隠せなくなってきていた。1981年6月2日にはマイナーチェンジが行われ、4ドアセダン1800とハードトップが異型角型2灯式+複雑な形状のフロントグリルから流行の角型4灯を持つ比較的シンプルなフロントグリルに改められ、また全車種のテールライトの形状が当時のメルセデス・ベンツ式の、凹凸を持ち汚れても視認性が確保されるタイプに変更された。同月25日には、スバル初の5ナンバーワゴン「ツーリングワゴン」を追加。エステートバンのBピラー直前からルーフを30?嵩上げした2段ルーフを採用し、装備を1.8L4ドアセダン4WD/1800GTSに準じた豪華なものとして、レジャー用途の取り込みを図った。更に11月には日本初の4WDでオートマチックトランスミッションを持つ「レオーネ1800cc4WDオートマチック」をセダン・ツーリングワゴンに追加、後輪駆動用のトランスファに、世界初となる「湿式油圧多板クラッチ」MP-Tを採用し、富士重工伝統の技術重視の姿勢が4WD技術を中心に再び復活の兆しを示し始めた(MP-Tはオートマチックトランスミッションのライン油圧を使用するため、マニュアルトランスミッション車には装備されなかった)。1982年11月には、折からのターボ車のブームに乗って日本初の水平対向エンジン+4WD+ターボモデル(1800cc、グロス120馬力、気化器を使用しない燃料噴射装置|燃料噴射方式)をセダンとツーリングワゴンに追加(オートマチックトランスミッション車のみ)、翌83年7月には4ドアセダンにFF1800ターボと16004WDを追加した。同時に、ハードトップを新設定の4WD1800ccツインキャブのスポーツモデル「RX」(グロス110馬力)に一本化し、FF車を廃止した。尚、他社の1800ccターボ車がグロス135馬力の時代に、グロス120馬力だったのは、エンジンがOHVだった(水平対抗エンジンはエンジンルームの横幅の制限でOHC化は他社に遅れを取っていた)ためにエンジン最高許容回転数が5500rpmだったせいである。1983年10月には、4WDターボに車高調整機能の「ハイトコントロール」を追加し、ATにロックアップを付けた(但し、スバル初のロックアップは動作時の衝撃が大きかったため、ディーラで取り外してもらうユーザが続出した)。 マニュアルトランスミッション車はパートタイム4WDであったが、オートマチックトランスミッション車はエンジン回転を上げて低速で回頭するとき(信号が変わった直後に交差点で発進してすぐ左折するするときなど)にタイトコーナーブレーキング現象が多少現れるものの、MP-Tによってフルタイム4WD化された(解除してFF走行も可能であった)。
マニュアルトランスミッション車が前進4速、オートマチックトランスミッション車が前進3速と、同時期の他社の車より1段少なかったのは、他社の車のオーバードライブギヤを収めるスペースに4WDトランスファギヤがあったためである。
Image:Subaru Reone Hardtop 001.JPG|ハードトップ1800RX 後期型
Image:Subaru Reone Hardtop 002.JPG|ハードトップRX 後期型
リア
3代目 (1984年-1994年)
OEM生産車以外では最後のレオーネとなった3代目(オールニューレオーネ)は1984年7月16日に、まず4ドアセダンとして発売され、10月25日に3ヵ月遅れでツーリングワゴン/エステートバンが追加された。[既に販売上大きな比率を示していたツーリングワゴンの発売が3ヶ月遅れたのは、運輸省(現:国土交通省)の新型車型式認定の際、発売の遅れた2車種について、事前に提出していた書類上の車両重量より実際の型式認定検査車両の車両重量が軽量だったため、前後バンパーに重量調整用の鉛を詰め、再検査を故意に逃れようとした事が発覚したためであった。]ボディサイズは一回り大型化されて平面と直線を基調としたものになり、フラッシュサーフェス化されて「Cd値=0.35」という良好な空力特性が大きく宣伝されたが、ホンダ・アコードをはじめとする競合他車に比べデザインの新鮮さや高級感の乏しさは否めなかった。伝統の水平対向4気筒「EA型」エンジンは、1800ccのみ「EA81型」のバルブ作動方式をスバル・1000以来のギア駆動のカムシャフトによるOHVからタイミングベルト駆動のカムシャフトによるOHCに改めた「EA82型」に進化し、わずかながらも高回転化が可能となって高出力化(ターボの場合、グロス135馬力、ネット120馬力)された。1985年11月にはドアミラーを、フロントサイドガラス前方に追加されたガセットに固定するタイプに変更し、下級グレードのホイールハーフキャップの意匠を変え、GT・GRにサンルーフ装着車を設定する小変更を行い、新たに「3ドアクーペ」シリーズを発売した。デビュー当初のマニュアルトランスミッション車の4WDシステムは依然パートタイム方式で、アウディ・クワトロ以来のフルタイム化の流れに取り残されていたが、国内初のマニュアルトランスミッションのフルタイム4WD乗用車のマツダ・ファミリア4WD(1.6Lターボ)に僅かに遅れて、1986年4月発売の「3ドアクーペRX-II」(1.8Lターボ)から、傘歯車(ベベルギヤ)とバキューム・サーボ式の差動装置|デフロック付きの差動装置|センターデフの採用によってセンターデフ付きフルタイム4WD化され、10月にはセダン/ワゴンにも採用が拡大された。このとき、セダン/ワゴンのフロントグリルとテールランプの意匠変更が行われた。翌1987年10月には、ATオートマチックトランスミッション|オートマティック車に4速AT「E-4AT」採用とあわせ、それまでのMP-Tフルタイム4WDから専用のコントロールユニットによるパルス制御によって前後トルク配分を予測制御する「ACT-4[Active Torque split-4WD]」(電子制御MP-T)と呼ばれる、高度な制御方式を持つフルタイム4WDへ発展させ、ようやくフルタイム化の時流に追い着いた。1989年2月、スバル・レガシィ|レガシィの発売により、販売車種がセダン1600ccOHVのマイア/マイア?のみに縮小された。1992年10月、スバル・インプレッサ|インプレッサの発売により、セダンが販売終了したが、バンは1994年3月まで継続生産された。
画像:Subaru-GL-Wagon.jpg|ワゴン(後期型)
レオーネバン(OEM)
1994年、当時の提携先であった日産自動車からOEM供給を受けた日産・ADバン|ADバンを、「レオーネバン」として発売、1999年にはADバンのモデルチェンジにあわせフルモデルチェンジし、2001年まで販売された。車名の由来
「レオーネ LEONE」とはイタリア語で雄ライオンの意味で転じて「勇者」を表す[「レオーネ(LEONE)」の商品名は日本国内向けで、海外では「SUBARU」にボディ形状、グレード名を続けた表記となっていた。アメリカでは1974、75年に限り、スバルの「星」にちなんだ「スター(Star)」が使われていた。]。スバル・ブラット
1977年10月に登場したレオーネベースのピックアップ・トラック。輸出専用車種で、国内販売は行われていない。「BRAT」は、Bi-drive Recreational All-terrain Transporter の頭文字に由来する。概要
アメリカでは、レジャー用としてもピックアップ・トラックに幅広い需要があり、日本車の輸入が本格化した1970年代に入ると、日本製の、トヨタ・ハイラックス|トヨタ・トラック(トヨタ・ハイラックス)、シェービー・ラブ(いすゞ・ロデオ|いすゞ・ファスターロデオ )などの「ミニ・ピックアップ・トラック」が好調な販売を記録していた。こうした中、S.O.Aからの富士重工業に対する「スバル・ピックアップ」を望む声は当初からあったものの、アメリカでは「ピックアップ・トラック」などの軽トラック(LDT:Light Duty Truck)に、25%という破格の高関税を課しており、フレーム付きの日本製「ミニ・ピックアップ・トラック」は、ボディをキャブ部分のみの架装に留め、荷台は現地で組み付けるという、「キャブ付きシャシー」という「裏技」で部品扱いで輸出され、この高関税を回避していた。しかしスバルはフルモノコック・ボディであり、こうした「ボディ分割」方法が取れない。アメリカ政府との度重なる折衝の末、「ピックアップ」と名乗らず、荷台に固定のシートを2脚取り付けることで、4人乗りの「乗用車」として輸入を認められ、1977年10月から、「ブラット」という専用名称が与えられ、アメリカへの輸出が始まった。歴史
1977年10月、発売。初代スバル・ブラットのベースとなったのは、A3型レオーネ2ドアセダンで、Aピラー以前と両サイドのドアは共通だが、ボディパネルの約6割は専用部品といわれている。翌1978年、イギリスを中心に、「スバル MV」という輸出名でヨーロッパへの輸出開始。1981年10月にAB型レオーネボディにモデルチェンジ。AB型レオーネ2ドアハードトップをベースとしていた。AB型レオーネでは唯一、「ハロー・ツイン・ルーフ(halo Twin Roof)」と呼ばれるガラス製Tバールーフも設定された。1983年からは、4灯フロントグリル、前後バンパーをウレタン一体成型バンパーに変更。1984年以降は、フロントグリルをハニカム・グリルに変更。アメリカ仕様は「GL」のシングルグレードのみとなった。1985年からは、アジア・オセアニア地域の需要に対応して、オーストラリアを中心に「ブランビー(Brumby)」として輸出が開始された。また、イスラエルなど中東諸国にも「スバル・ピックアップ(Subaru Pickup)」として1986年から輸出された。アメリカでの販売終了後も、ヨーロッパ、アジア・オセアニア・中東には輸出が継続され、1990年までAB型レオーネのボディのまま生産された。脚注
関連項目
*富士重工業
スバル・レガシィ
スバル・インプレッサ
いすゞ・ジェミネットII
日産・ADバン
マツダ・ファミリア
FJ1600 - レオーネが搭載していたスバルEA71型エンジンを使用したジュニア・フォーミュラ。外部リンク
新型「レオーネバン」を発売 1999年6月15日 SUBARU NEWS & TOPICS
レオーネバンの紹介
TrackBack-Ping-URL: