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2008/04/23 日記<スバルff-1_1300Gバン_4WD>
スバルff-1_1300Gバン_4WD
スバルff-1 1300Gは富士重工業が生産していた乗用車。1970年7月、スバル・ff-1のエンジンを1267ccへと排気量拡大して、内外装に大きな変更を行った。スバル・1000のプラットフォームを継承した最後の自動車としても知られる。
概要
1970年3月、富士重工業はスバルff-1 1300Gシリーズを発売した。「G」は「グレート(Great)」、「ゴージャス(Gorgeous)」など、力強く、豪華なイメージの英語の頭文字に由来している。スバルff-1は、当時の大衆車クラスでは唯一の前輪駆動|FF方式と、斬新で合理的な設計は高い評価を受け、月販4000台前後の安定したセールスを維持していたものの、戦後の高度経済成長に支えられた「マイカー・ブーム」で、当時の1,000〜1,300ccの大衆車クラスは激戦区となっており、*1969年5月:ホンダ・1300発売(空冷エンジン搭載115ps/7500rpm(99S)の高出力)
1970年1月:「日産・サニー」モデルチェンジ(1200ccに排気量拡大 B110系)
1970年3月:「マツダ・ファミリア」マイナーチェンジ(1300ccに排気量拡大)
1970年5月:「トヨタ・カローラ」モデルチェンジ(1200ccに排気量拡大 20系)など、軒並み排気量拡大と豪華化が進み、販売サイドから早急な商品力のアップが求められていた。1969年のスバル1000からスバルff-1へのマイナーチェンジからわずか1年での矢継ぎ早の大規模なマイナーチェンジが敢行された背景には、発売以来指摘されていた、全国への販売・サービス網の整備がほぼ一巡し、拡販体制が整ったことが挙げられる。スバルff-1 1300Gは、エンジンをスバルff-1の1,100ccから1,300ccに拡大。一方、従来の「EA61」型もラインナップに残し、従来の「スーパーデラックス」をコラムシフトとフロアシフトで明確に性格分けした、「カスタム」、「GL」グレードの設定など、バリエーションの充実が図られている。また、エクステリアもボンネット、フロントグリルをダイナミックな造型のものに変更。インストルメントパネルもクラッシュパッド一体成型の豪奢なデザインに変更し、大きくイメージチェンジを図った。また、貨物自動車|バンは1300Gが4ドアのみ、1100が4ドア、2ドア両方が設定された。1971年4月には、マイナーチェンジが行われ、トランク・フードの形状変更、大型魚眼テールレンズの採用、新デザインのホイールキャップの採用、安全・公害対策装備の充実が図られた。1971年10月、ニュー・ジェネレーション「レオーネ・クーペ」の登場に伴い、まずスポーツセダンがカタログ落ち。1300G、1100ともども、セダン、バン、「スーパーツーリング」の車種体系になり、一時的にスバル・レオーネ|レオーネとの併売となった。1972年2月、レオーネ4ドアセダンの発売により、1300Gシリーズセダン,および「スーパーツーリング」が販売中止。セダンが1100・2ドアセダンのみ、バンが1100の4ドア・2ドアのみの受注となり、9月「レオーネ・エステートバン」の発売により、完全に世代交代が完了した。エンジン
1300Gシリーズには、スバルff-1の「EA61」型エンジンのボアを6mm拡げ、排気量を1,267ccとした「EA62」型エンジンを搭載。80ps/6400rpm、10.1kg-m/4000rpmを発生。2ドアセダン・デラックス、スタンダード、バン(4ドア・2ドア)には従来の1088ccエンジンも残され、「スバルff-1 1100シリーズ」と呼ばれる。スペック/メカニズムに変更はない。「EA62」、「EA62S」型エンジンには、公害対策としてブローバイガス還元装置、アイドルリミッターが追加されている。更に1971年4月のマイナーチェンジで、「スバルEECS」と呼ばれる燃料蒸発防止装置を追加。出力等に変更はない。スポーツセダン及びスーパーツーリングに搭載された「EA62S」型エンジンは、ミクニ|三国工業製ソレックスタイプ・ツインキャブレター、デュアルエキゾーストパイプ、専用カムシャフトの採用、バルブタイミング、バルブリフト量、圧縮比を10.0に変更するなど、スバル・1000スポーツセダン以来のチューニングを継承して、93ps/7000rpm、10.5kg-m/5000rpmを発揮。OHVながら1,300ccクラスではホンダ・1300の115psに告ぐ高出力を誇った。エンジンの1,300ccへの増強とリヤサスペンションの改良は、モータースポーツシーンにおけるひときわ際立った戦闘力をスバル・ff-1 1300Gにもたらした。国内ラリーシーンではクラス優勝はもはやスバルの独壇場で、2,000cc以下では最強のラリーカーだった。当時、主催者の曖昧な車両レギュレーション運営や、その陰で横行する各社の過激なチューニングなどのハンディをものともせずに、1970年、1971年と連続して日本アルペンラリーで総合2位に入賞。地方ラリーでは数多くの総合優勝を飾っている。また、ヒルクライム、ジムカーナ競技でも活躍した。また、1970年6月、アメリカ合衆国|アメリカ・バハ・カリフォルニア州|カリフォル二ア半島を舞台としたオフロードラリー「第5回バハ500マイルレース」に、P.ペトロスキーが出場。総合20位、クラス3位で完走している。この出場はプライベートによる出場だったものの、富士重工業製のクルマによる初の海外ラリー参戦とされている。シャーシ・サスペンション
基本的にはスバル1000/スバルff-1からのキャリーオーバーだが、リヤサスペンションがスバル1000/スバルff-1のトレーリングアーム方式から、セミトレーリングアーム方式に変更となっている。これは主にパワーアップに対応したもので、トレーリングアーム支点固定ボルトを2本に増やし、従来プレス鋼板だったトレーリングアームを、曲率を加えた高剛性の鋼鉄製パイプに変更した点により、スバル1000/スバルff-1に比べ、限界時の挙動、乗り心地がマイルドになったといわれている。エクステリア
エクステリアも基本的にはスバル1000/スバルff-1からのキャリーオーバーだが、ボンネット、エプロン、フロントグリルなどの意匠を変更。ボンネットは前後方向へのプレスラインが増やされ、フロントグリルはプラスティック一体成型の大型のものとなり、中央に六連星と「G」をあしらったオーナメントが付く。また、ヘッドライトリムも大型のプラスティック成型のものに変更、さらにエプロン部の開口部も大型化され、サイドターニングフラッシャーも白からオレンジへ変更。従来のスバル1000/スバルff-1から大きくイメージを変えた。リヤは、テールライト・ガーニッシュの変更の他、従来、テールライトと一体だったバックライトがテールライト内側に独立した。スバルff-1 1100シリーズもエクステリアは共通だが、フロント・エンブレムが六連星のみのシンプルなものになる。スバルff-1でデラックス以上に標準だった、バンパーのオーバーライダーは国内向けは廃止された。1971年4月のマイナーチェンジに伴い、スバルff-1 1300Gシリーズは、フロントグリル内のモールの意匠変更、テールライトを従来の平型の四角のものから大型の異型魚眼タイプのものへ変更した。トランクフードの形状変更とオーナメント追加を行っている。また、スバルff-1 1300Gシリーズ標準車のデラックス以上のグレードのホイールキャップの形状変更。スポーツセダンのホイールキャップが後のレオーネGSRと共用のものとなっている。レザートップ、ボンネットストラップ、ノーズフィンなど外装関係のオプションも多数用意されていた。インテリア
スバル1000、スバルff-1の棚型形状から、一体成型クラッシュパッドの豪奢なものに変更され、大きくイメージを変えている。標準車は2個の円形メーター、スポーツ系が3個の円形メーター構成とされている。1971年4月のマイナーチェンジで、衝撃吸収ステアリング、エアフローベンチレーションシステムを採用、オプションでクーラーの装着も可能となり、安全性と快適性の向上を図っている。カスタムのみに、リヤ熱線デフォッガーを装備。スポーツセダン、スーパーツーリングに大型センターコンソール、樹脂製ウッド風センタークラッシュパッド付きステアリングを装備。スバルff-1 1300Gバン 4WD
初のスバル四輪駆動|AWD。スバル1000のトランスミッションの後端にプロペラシャフトを繋いでリヤアクスルを設けてAWD化することが容易である事は、開発段階の初期から富士重工業社内でも指摘されていた。しかし、当時の日本で四輪駆動のイメージは、「ジープタイプの特殊な自動車」であり、『マイカー時代』を迎えて「一家に一台」と言われ始めたとはいえ、スバル1000が採用した前輪駆動|FF方式の認知さえ覚束ない状態であり、まだまだ乗用車とAWDを結びつける必然性がなかった。1970年、東北電力から一スバルディーラーである宮城スバルに「ジープより快適で、通年使用可能な現場巡回用車両」の開発要請が寄せられた。当時、東北電力では冬期の現場巡回用にジープを使用していたが、冬期と夏期で車両を使い分けていた。その理由として、
オープン・ボディに幌で、冬期はヒーターの効きが悪く寒い
乗用車に比べ快適性に劣る
当時、整備が進みつつあった、一般の舗装道路では、操縦性・走行性能に難点がある
林道などの整備も進み、通年でもジープほどの悪路踏破性は必要がない
などが指摘されていた。こうした指摘は「ジープ」がアメリカ陸軍の依頼を受けて開発され、1941年に正式採用された軍用車であり、いくら改良を加えているとはいえ、当時でもすでに登場から30年が経過していたことを考えれば致し方のないことであるが、当時の日本では、こうした用途に使用する自動車はジープタイプ以外、選択肢はなかったのである。東北電力からの打診を受け、宮城スバルでは「スバル1000バン」に「スバルff-1」の1100ccエンジンを搭載した車両に日産・ブルーバード(510型)のリヤアクスルを装着して、室内を貫通するプロペラシャフトのカバーを設けた試作AWD車両を開発。1971年2月から山形県月山周辺の積雪地帯でテストを行ったところ、ジープには積雪・悪路踏破性ではおよばないものの、従来の乗用車とは比較にならない性能が確認され、関係者の間でも非常に好評だったことから開発作業を富士重工業・群馬製作所へ移管し、1971年3月、新たにスバルff-1 1300Gバンをベースにした試作車が2台製作され、商品化に向けての本格的なテストが開始された。富士重工業本体による開発テストでも、高い走行性能と従来のスバルff-1 1300Gと遜色ない快適性が確認され、早々に市販が決定したが、当時スバルff-1 1300Gシリーズは新型車レオーネに移行することが決定しており、スバルff-1 1300Gバン 4WDはレオーネ4WDのパイロットモデルとしての役割に留めることもまた決定された。ここに、水平対向エンジンを核とする左右対称のシンメトリカルAWDの原型が完成した。また、この開発期間で、新たに前輪駆動|FFとAWDを切り替えるトランスファーレバーが追加されている。1971年秋、「第18回東京モーターショー」に出品。展示ブースでは前輪駆動|FFのスバルff-1 1300Gバンと並べて展示され、リヤ・アクスル下の床にミラーを設置。AWDをアピールしようとしたが、外観では車高が20mm上げられた以外、何の変哲もない隣の前輪駆動|FFのスバルff-1 1300Gバンと全く見分けが付かないため、急遽、ボディサイドに「スバル1300G VAN 四輪駆動車」と大書きすることになったというエピソードがある。この「第18回東京モーターショー」では、商用車館への展示にも関わらず非常に注目を集め、富士重工業の関係者は乗用車ベースAWDの潜在的な需要が決して少なくないことを確信したという。スバルff-1 1300Gバン 4WDは合計8台が製作され、5台が東北電力に、また、白馬村|長野県白馬村役場、飯山市|長野県飯山農業協同組合、防衛庁にそれぞれ1台づつが納入されたといわれている。現在も群馬県太田市に1台が存在する。変遷
西暦 | 月/日 | イベント |
1970 | 6 | スバルff-1「
第5回バハ500マイルレース」クラス3位、総合20位(P.ペトロスキー) |