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2008/06/02 日記<スズキ・ジムニー>
スズキ・ジムニー
ジムニー (Jimny) は、スズキ (自動車メーカー)|スズキが1970年から市販している四輪駆動の軽自動車である。通常「ジムニー」は軽自動車を指すが、当項目では普通自動車登録であるジムニーシエラ、ジムニーワイド等についても併記する。なお、:en:Ford Sierra|フォード・シエラや:en:GMC Sierra|GMC・シエラとは一切関係ない。
特徴
構造
小型で軽量のパートタイム四輪駆動|4WD車というユニークな存在であり、オフロードでの高い走破性を有している。小型オフロード車ではシャシ (自動車)|車台のモノコック化が進んでいる今日にあって、低級振動や重量増などの不利をおして、今なお強度と耐久性を重視した梯子形フレーム形式 (自動車)|フレーム(ラダーフレーム)を使い続け、サスペンションも前後とも固定車軸|固定軸を用いるという、ジープ以来の伝統的な四輪駆動車の構成を固持する、小型四輪駆動車としては独自かつ希な存在である。小型軽量ボディやラダーフレーム、車軸懸架|リジッドアクスル式サスペンション、大径タイヤなどの優位性により、純粋な悪路の踏破性能では
四輪自動車としてトップクラスの性能を持ち、クロスカントリー競技のベース車としても定評がある。また山岳地帯や豪雪地帯ではその機動力を買われ、ミニパトロールカー、消防関連、治水管理関係などの公用車や、郵便|郵便車としても多く採用されている。2000年に二輪駆動|2WD(FR)車が発売されたが、現在は4WDのみのラインナップとなっている。約40年近い歴史で細かい改良は多いものの、フルモデルチェンジはわずか2回というモデルライフの長さも特筆すべきものであろう。 車名
車名の由来はJeep |ジープ(Jeep)とMiniをあわせた造語からと言われているが、メーカーの公式発表では「発音のしやすさ、覚えやすさなどから作った造語である」とされている。北米発の愛称は「Suzy(スージー)」。軽自動車として同一車種名での歴史の長さを誇る車種のひとつである。誕生から長い間、法定費用の面で有利な軽貨物自動車|貨物となる4ナンバー規格で販売されており、5ナンバーの軽乗用車|乗用仕様の登場は1995年からと、比較的新しい。貨物仕様は1998年に廃止された。 販売
マツダへOEM供給されたモデルはマツダ・AZ-オフロード|AZ-オフロードの名で販売されている。1977年に発売されたSJ20以降、普通車登録のジムニーも発売され、海外でも販売されている。海外では、輸出、ノックダウン生産、現地生産を含め、多くの国で販売されており、現地で荷台や車体を架装したピックアップトラックやステーションワゴン|ワゴン(4ドアもある)など、ロングホイールベース車の比率も高い。車名も、「ジムニー」のほか、時期や仕向け地によって、「ブルート」、「サムライ」、「SJ410 / 413」、「シエラ」などを使い分けている。
歴史
開発前史
ジムニー開発のきっかけは、かつて軽オート三輪の先駆的メーカーでありながら、大手に押されて自動車業界からの撤退に至ったホープ自動車から、同社が開発した軽四輪駆動車「ホープスター・ON型4WD」(1967年完成)の製造権を、当時スズキ東京社長、現スズキ会長である鈴木修 (実業家)|鈴木修が、社内の反対を押し切る形で買い取ったことに端を発する。ホープスター・ON型4WDは軽自動車ながら高い性能を備えた四輪駆動車だったが、ホープ自動車の創業者で「ON」の開発者でもある小野定良は、この設計を商業的に活かすにも、もはや自社に量産、販売能力がないと判断し、大手メーカーへの製造権譲渡を決意した(ホープ工業は同時期に遊園地の遊具開発に業態転換することで会社の命脈をつないだ)。小野は当初、三菱重工業(三菱自動車工業が分離されたのは1970年)に売り込んだが、ジープのメーカーでもある三菱からは理解を得られず、スズキに提案を行ったところ、鈴木修が「軽四輪駆動車」というユニークなプランに関心を示し、(小野に言わせれば「ごく廉価に」、資料によれば当時の金額で約1200万円)ホープ側から製造権を買い取った。このときスズキの幹部からは「売れなくて撤退した車の製造権を買ってどうするのか」、「社長の道楽」、「もしこんなものが売れたら社内をちょうちん行列で歩いてやる」という批判があったとの話もあり、鈴木修を除いた周囲からは、期待されていなかった模様である。 ごく少量が生産、販売されたホープスター・ON型4WDの組み立ては、ほとんどが手作りで、三菱自動車|三菱エンジンのものが15台、検討用にスズキから依頼された、スズキエンジンのものが3台生産されたにとどまっている。結果としてホープスター・ON型4WDは、ジムニーのプロトタイプとしての役割を果たした。初代
初代第1期(1970年〜1972年)
LJ101970年4月に軽自動車初の本格四輪駆動オフロード車として発表。ホープスター・ON型4WDのドライブトレインは、前後車軸懸架|リジッドアクスル、16インチホイール、2速のトランスファーなど、ジープ同様の本格的な構成であった。そこでスズキでは、ON型4WDの優れた機能はそのままに生かしながらも、自社生産向けに大変更を加えた。パワーユニットは自社の軽トラック・スズキ・キャリィ|キャリィ用のエンジンとトランスミッションを利用し、ON型4WD同様に軽自動車枠内に収めた。規格品の鋼材を積極的に導入し、他の部品も自社の既存のものをなるべく流用することでコストを抑えた。また作業車としての用途に応えるため、トランスファーへPTO(動力取り出し装置)を組み込んで動力を取り出し、ウインチを動かすことができるようにした。このPTOウインチは、SJ10/20まで純正オプションとして設定されている。その一方でスタイリングを重視し、武骨な形のON型4WDに比べ、スポーツ性を取り入れたデザインとなった。また商用車扱いとして販売価格を抑えるなど、購買、設計、生産技術、デザイン、営業などとの全方位的な折衝の末、商品として成立させた。発表されると、維持費の安い軽自動車でありながら、大型の四輪駆動車以上の機動力を発揮する実用性で、「それまでにない軽自動車」として市場に評価され、スズキの販売力もあって、大きな商業的成功を収めることとなった。当時のキャッチコピーは「自然に挑戦する男のくるま」、「男の相棒☆ジムニー」、「最前線志願」であり、カタログなどで使用された。初代第2期(1972年〜1976年)
LJ20-11972年5月発表。LJ10との大きな違いは、エンジンを空冷から水冷エンジン|水冷に変更したこと。水冷となって快適な温水式ヒーターを得たことと、ライトバン|バンモデルのLJ20Vが追加されたことも相まって、雪国や寒冷地を中心に販売台数を伸ばした。また1972年7月には、ソニーと共同でLJ20にソニーの18型カラーテレビとUマチック方式のビデオデッキを搭載した「ビデオジムニー」を発売した。トランスファーのパワーテイクオフ|PTO装置を使って発電し、電力を供給する仕組みであった。法人や自治体を販売対象と想定して、電源の無いところでビデオの録画及び再生ができることをうたい、東京モーターショーにも出品したが、結局1台も売れなかった。ビデオジムニー専用の部品もあり、パーツリストには記載されている。
LJ20-21973年11月発売。フロントマーカーランプ(車幅灯)とフロントターンシグナル(方向指示器)が分離され、リアターンシグナルランプが赤から橙色に変わった。1975年2月、幌モデルに向かい合わせの後席を持つ4人乗りのLJ20Fを追加。居住空間捻出のため、スペアタイヤは荷室から車体背面に移動され、幌後半の高さも嵩上げされる。
画像:Suzuki Jimny LJ20 002.JPG|水冷を示すデカール
初代第3期(1976年〜1981年)
SJ10-1型
1976年6月発表。1976年の法律改正により軽自動車の規格が変更され、それに対応して、旧規格の車体サイズのまま、新しいスズキ・LJ50型エンジン|LJ50型 2ストローク機関|2ストローク 水冷エンジン|水冷 直列3気筒エンジンを搭載し、排気量を550 cc(539 cc)へと拡大する。愛称は「ジムニー55」となる。幌型で向かい合わせとなる後席の居住性改善のため、幌後半の高さを増大した。 SJ10-2型
1977年6月 新規のホーシングとオーバーフェンダーにより、トレッドと車体サイズを拡幅する。
エンジンフードは盛り上がった形状となり、前端にはインテーク|エアインテークが設けられた。 SJ10-3型 / -4型
1978年11月 前照灯|ヘッドランプの取り付け位置(光軸中心)が下がり、それに伴いフロントグリルのデザインが変更される。 SJ20 ジムニー8
1977年7月 発表。SJ10の車体に排気量800ccのF8Aエンジンを搭載した輸出仕様のLJ80をもとに、日本国内向けとしたものである。このF8Aは、スズキでは初めての4ストロークエンジンだった。軽自動車の枠には納まらず小型自動車|小型車(登録車)となった。日本国内での登録台数は、1,799台にとどまっている。2代目
2代目第1期(1981年〜1984年)
SJ301981年5月に発売。11年ぶりのフルモデルチェンジとなり、快適性や操作性など、乗用車としての性能を向上させた。同時期、すでにスズキの軽自動車のほとんどは4ストローク機関|4ストロークエンジンの「F5A型」に移行していたが、不整地では低回転時のトルクが重要となるため、スズキ・LJ50型エンジン|LJ50型が継承された。エンジンの改良により、最高出力は28Psに向上した。日本では最後の2ストローク機関|クランクケース圧縮型2ストロークエンジン搭載の4輪自動車となった。このSJ30型は、同じ軽自動車規格の4ストロークターボチャージャー|ターボエンジン車であるJA71型の登場後も、エンジン、電装系、内装等のマイナーチェンジを行いながら、1987年まで生産が続けられ、併売された。なおCMコピーでは「ジムニー」だけになったが、SJ30もJA71発売以前(-3型まで)の正式な商標はSJ10から引き続き「ジムニー55」である(取扱説明書に記載されている)。